門前旅の案内人ブログ

旧正月善光寺さんへ初詣で

令和三年二月十二日

例年善光寺さんへ初詣でするお正月。今年は第三波の真っただ中にあり、”密”を避けて思いとどまりました。

 外出自粛の継続から2月12日に至り、今年の旧正月。この日、第三波に見舞われ続けていた緊急事態の県内も、少し落ち着き始め、レベル2へ降格宣言が下されました。陽気も良かったことから妻と連れ立ち漸く善光寺さんへ初詣で。

 この時期、例年ならば”春節”で中国からの観光客が訪れ、善光寺さんも大勢で賑わいますが、境内も本堂内も参詣者はまばら。親族の健勝とコロナの早期終息をご本尊にお願いしつつ、こんなにじっくりとお参りが出来たことを久しく感じとりました。

 「”灯明まつり”が始まった昨夜は、ライトアップで久しぶりに大勢の人達で賑わいましたよ・・・」とコロナ禍で参拝客も少なく、内陣の関係者が話しかけて下さり異例の状況が続いていることを嘆き合いながらのコミュニケ。

 昨年のこの頃から、コロナ禍に突入して早くも一年が経過しています。特に今年一年の”諸難消除”を祈願し、例年どおり外陣の授与品所でダルマを購入してきました。

 駒返り橋まで下山すると、「ゆめ灯り絵展コンテスト」作品の切り絵燈籠が沢山並んでいて、駒返り橋通りが会場となっていました。長野冬季五輪のレガシーを継承した”平和への願い”を世界に発信するため、平成16年(2004)~から行われている「長野灯明まつり」。「ゆめ灯り絵展コンテスト」は、これを象徴するもう一つの情景を醸し出しています。

 表参道の東西、新田町~大門まで、プロ/アマ問わず作者の思いを切り絵に刻み、未来への願いを込めた約800基程の作品が、期間中の夜を彩どり、毎年、切り絵作家の柳沢京子先生方が作品の審査にあたっています。

 コンテスト会場には、疫病退散の祈願を込めた作品など中々の力作が並んでいました。

   

 

   

 

 丁度、昼食の時間となり、久しぶりに妻と二人でぱてぃお大門の「縄文おやき」を食べようと、風情ある中庭から入ろうとすると、中庭からの入口は、コロナ禍の密を避けるためか、一方通行の出口専用となっていて、表参道側から入りました。他のお客様も一人、私どもの後から入ってきます。 

 赤々と燃える囲炉裏の炭火と、法被を着たトングを持つ焼職人。周りにこんがりと焼かれた美味しそうなおやきが網の上に乗っています。数種類を注文、蕎麦茶と熱々の「おやき」を頬張ります。パリッ、モチッとした皮の食感、この時、幸せかな信州人であることを実感するのでした。もちろん孫子の代まで有効な、小川の庄おやき村の村民待遇を受けられるVIP(Very  Important  Person)、私は平成28年(2016)、既に登録住民となっています。

 「縄文おやき」の由来は、北信濃の西山地区・小川村の縄文遺跡から”雑穀の粉を焼いた跡”が発見されたことから名付けられた、と云われています。

   

 

 元々、7月の末に行われる善光寺さんの大念仏(盂蘭盆会)に、北信濃の西山地域(主に七二会、中条や小川村)の多くの人達が夜食を持って参拝し、そのまま本堂内に籠って夜を明かし、翌日、ご先祖様を家に連れ帰る、と云う風習がありました。このことを「お籠り」、と云い、この時に持参していた夜食が「おやき」の始まりであり、この人達を「おやき行者」、とも云われていたそうです。信州の粉食「おやき」も、やはり善光寺さんと関りがあったのです。

 小川村の「縄文おやき」は、平成元年(1989)秋、ロサンゼルス「ジャパンエキスポ’89」に初参加し、盛況下でお披露目。当時、アメリカ、日本国内の新聞・TV・ラジオで取り上げられました。

 私が例えるならば 「ジャパニーズ ハンバーガー(Japanese  hamburger)!」

 長野に訪れるお客様に「信州の伝統郷土食”おやき”は、国内のみにあらず、インターナショナルなんですよ!」と、私はいつも称賛のガイドをしています ・ ・ ・ 。  F.U